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明治時代は今より死刑が頻繁に行われ、遺体の臓器は薬になると信じた人たちが死刑囚の臓器を盗んで飲食していた。因習村ではなく都会で。 明治三年に「人胆霊天蓋等密売ヲ厳禁ス」とおふれが出されるも臓器窃盗は続き、生きてる人を殺害して奪うこともあった。 pic.twitter.com/37VqYHqdlL

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巫俊(ふしゅん)@fushunia

「遺体を食べる文化」、つまり「食人」は、「得体の知れない土地」を表現するのに使われるので、歴史学では「無かった」とされがちですが、史料では偏見だとされるそれも、宗教学者・山折哲雄の「序言」(『日本文化の深層と沖縄』に序言として収録されてる論文の類の物)によると、実在したとのことで

きれいなたわし@clean_tawasi

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「丙午生まれの女は気性が荒い」という迷信によりその年は出生率が下がったほど、昔の人は生まれ年にミラクルな影響があると信じた。 「この病気を治したい場合は、ある時期に生まれた奴の臓器が効くぞ」って迷信もあり、死刑囚を待っていたのでは目当ての生まれ年の人が回ってこないので殺害するとか

きれいなたわし@clean_tawasi

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