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当時、事実上天皇家の家長であった詮子の意中の後継関白はあくまでも道長であり、「関白は兄弟順に」という先例を作って道兼の次に道長を就ける事を目論んだとみられる。また伊周の強引な出世や驕慢な振る舞いは公卿たちの反感を買っており、これも詮子の判断材料になっていた。 #光る君へ pic.twitter.com/x7DLMX0r2E

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令和の土星人。'24@ワクチン4度接種&インフル接種完了@4568Ts

みんなのコメント

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兼家の政治力を受け継いだ詮子でしたね。先が読めるし多数派工作もお手のもの このへんの感覚は、道長、能信と受け継がれて行きます

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詮子は最初から道長一筋ですものね。何らかの理由で道兼の命は長くないと知っていたから推したのでしょう。道隆が強引に昇進させた事と、本人の驕り高ぶった性格が災いして伊周は皆から嫌われたのですけど、その嫌われっぷりをもう少し詳しく描いて欲しかったです。

ふじまる@fujimaru79catsk

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