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1946年4月29日、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯28人が起訴されました。 昭和天皇の誕生日に合わせたとされており、「平和に対する罪」「殺人」「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」などが主に問われました。 昭和天皇は自らが退位し全責任を取ることで収められないかと考えていたといいます。 pic.twitter.com/AzGIiBGv0N

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RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中@Reki_Shock_

みんなのコメント

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アメリカは当初昭和天皇も裁判にかける、また大統領制も模索。 しかしマッカーサーが日本で相談相手として信頼していた辻 嘉六氏が強く反対。 取り下げられた。 *辻 嘉六氏はアメリカと戦争していたにも関わらず反共でCIAと情報共有していたとされ、アメリカ情報筋では信頼できる日本人とされていた

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この裁判では、南京大虐殺の質問は総て「無かった。」で終わっていたのに、後の某新聞社と◯◯党がデッチ上げを含む記事を流した事により、南京大虐殺が起きた事になった。 と、南京攻略に従軍した熊本の聯隊日記に書いていた。

晴風(元、戦国)@MCBKzfKYuI19505

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戦犯の絞首刑は当時の皇太子(現在の上皇陛下)の誕生日である12月23日に行われました。意地悪やなあ。

MakoKoto@MakoKoto831

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当時の連合国のいやらしさと言ったら。 見下げ果てた性根の悪さよ。

ごーごーごーにゃん@b3IiWnjBOZNG8mx

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