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おかしくないとずっと話していて、東北大理学部の先生ともよく話していた。結局、科学よりも歴史的事実を見た方が早いのではと一致していた。東北電はそこらじゅう穴をほって津波が来ていたこと、周期も判っていた。 自分は清少納言の父が詠んだ歌。百人一首にある

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清原元輔(42番) 『後拾遺集』恋四・770 契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは を小学校時代にはしっていて、恋の歌だが「末の松山 浪波越さじとは」は貞観大津波とかけてることも知っていた。今回の地震での津波も末の松山の下でとまったわけだが。

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