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上毛野氏がいた群馬県などの北関東辺りは5世紀後半からヤマト朝廷の政策で馬の生産の目的として渡来人が移住したのではないかと見てるけど、そこで騎馬の鍛錬して騎馬隊とし朝鮮半島に征ったかもしれないと妄想。
メニューを開く古墳時代史解題@kofunjidaishi
上毛野氏が朝鮮半島に遠征しているというのは、さすがにそうはない事態かもしれませんが(防人は九州に行ってますけど)、日本書紀や常陸国風土記を見ると、わりと常態的に東北地方で(蝦夷と)戦っていたんだろうなという印象がありますね。多分武蔵国造の乱みたいのは稀だと思いますが、中世の坂東の…
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中近世の水軍では馬船を使っていたようですね。玄界灘を渡るのは大変と思いますが、ワンチャンある? ただ蝦夷の蕨手刀は日本刀の原型とも言われ、馬上刀のようです。蝦夷は騎馬戦術を東日本から取り入れたようで、東北地方との関係の深さは明らかかと。