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昭和20年代、日本がいかに機雷の危険と”一触即発”であったかわかる資料です。 ※2014年・呉の海自施設「てつのくじら館」にて撮影 pic.twitter.com/qupDjlID6Q

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リタイ屋の梅@ume_retire

何かの本で「B-29が日本に与えたダメージは苛烈な印象を残した空襲より、空中投下した機雷による港湾封鎖だった」と読んだ覚えがあります。 戦後もそれら米軍由来に加え、朝鮮戦争で敷設されたソ連製機雷が日本の海峡に流入してしばしば青函連絡船を止め、大量の滞貨を招いた時期がありましたね。

リタイ屋の梅@ume_retire

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自衛隊創設の1954年夏に行われた海自初の栄誉礼。その背景にはお召船の機雷警戒任務という背景がありました。 ※画像は拙著『海自S-51物語』より pic.twitter.com/MCAebmpfgd

リタイ屋の梅@ume_retire

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もう地元民にもほぼ忘れられてる様な事件ですが、私の子供の頃はまだ小学生がクラス発表とかで取り上げる様な感じでした。 機雷は戦争が終わっても被害をもたらすところが厄介ですね。 city.nanao.lg.jp/soumu/kurashi/…

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青函連絡船も夜間運航が禁止になり、昼間でも救命ボートを展張状態にし武装した海保の保安官が乗り込んでたみたいです。

むつ YPY31@yamamon21692402

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