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松野連系図から 火国山門が倭国の大倭 火国菊池山門が倭国の倭王の都の可能性大 魏志倭人伝で言う所の邪馬台国、親魏倭王卑弥呼の都 隋書倭国伝でも邪馬台国、倭王阿毎多利思比弧が阿蘇山有 倭王が火国菊池山門から移動 唐書の記述から倭国は700年以降国名を日本と名乗った 日出處の天子は倭王阿毎

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隋書倭国伝の記述に冠位十二内容内容もある事から 603年冠位十二階は倭王阿毎が行った可能性大 604年の十七条の憲法も、まだ倭国の漢字文字や隋からの制度知識は倭王の物だった可能性大 泰伯の後は 縄文時代に渡来人で1000年間倭人になり漢字を使う倭人 日本の古事記や日本書紀が712年頃に完成

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