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持統天皇は天智天皇の娘であり、天武天皇の妻でもあった女帝。振り返ってみれば、父も夫もこの世を去り、自身が帝になっていた心中はいかばかりか。 そんな激動の人生とは一見縁遠いような牧歌的な歌であるが、そこには穏やかな治世を現出させたという彼女の自負が込められているようにも見える。

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さとし@歴史好き@ZcY4arp6jcCNdKO

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百人一首の一首目と二首目は古代の天皇父子の歌で構成されている。 民を慈しむ「秋の田の」と穏やかな治世を謳う「春すぎて」には選者である定家の皇室への尊崇と古を理想とする懐古主義的な側面が込められているのかもしれない。 何故なら、この当時皇室は天皇父子が島流しにあっていたのである。

さとし@歴史好き@ZcY4arp6jcCNdKO

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