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そういえば、この間の、NHKの怪しい日本の古代史の番組で、甲冑の大量生産による標準化の話があったっけ。 古墳時代の始まりは、箸墓から、布留0式から、とかいうけれど、大和川水系の古墳群(佐紀盾列とか、馬見とか、古市とか)も基本的に早期の古墳が4世紀前半からで、古墳時代前期も、

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岡安 光彦 Okayasu Mitsuhiko@mysterious_bow

エスニック・マーカーとしての武装 古墳時代に入ると、日本列島主要域で戦士集団の武装が統一される(厳密にいうと前期前半くらいまでは地域性が残るが)。「我々」という意識が、「我々の武器」に表象される中で、日本の初期国家が萌芽していく、という感じだろうか。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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霊長類との比較でいうと、チンパンジーあたりが、かなりヒトと近い部分があって、チンパンジーの部族間闘争は凄まじいものがある。また、文化的な継承も部族内で行われるわけだし。 実際に、殺し合いがかなり頻繁にあるのもチンパンジーだ。

岡安 光彦 Okayasu Mitsuhiko@mysterious_bow

他の霊長類とは異なり、ヒトの集団はしばしば自称するメンバーを持つ民族集団に分けられ、独特の服装や話し方など、一見恣意的な特徴によって識別される(Barth 1969, 1981)。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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実質的には4世紀後半(古墳時代前期後半とされる)から。 箸墓相似とされる初期古墳も3世紀後半から末が基本。 つまり、ヤマト王権の確立は4世紀半ば以降で景行→成務(355年崩御 古事記)あたりが画期。4世紀後半(仲哀崩御の362年 古事記)からは応神の時代になる。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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