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高田屋嘉兵衛 ゴローニン事件 カムチャツカへ連行。 嘉兵衛は観世丸に乗り、干魚を積んで択捉島から箱館に向かう途中、公文書を届けるため泊に寄港しようとしていたが、文化9年8月13日(1812年9月18日)朝、国後島ケラムイ岬の沖合でディアナ号に拿捕された。嘉兵衛は、リコルドにゴローニンが生きて

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初級日本歴士@Wdv1KJuMriZWjtU

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いることと、カムチャツカに行く用意があることを伝えた。そして、弟の嘉蔵・金兵衛に事件解決のため「掛合〔交渉〕も致し候」と手紙を書き送り、食料と衣服をディアナ号に積み替え、水主の金蔵・平蔵・吉蔵・文治・アイヌのシトカとともに、カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーに連

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