ポスト

東北地方は南九州と同じで難治の地だったと考えられます。古墳築造=領土が治まっていたという訳ではなく、文献に度々反乱があった形跡があります。例えば、飢饉が起こる時、反乱とか想定できます。一般に異民族統治・遠隔地統治は困難です。文献からどうも関東から兵を出して鎮圧したらしい。

メニューを開く
Takeo Kusumi@T_Kusumi057

古墳時代後期までにヤマト政権と「蝦夷」の対立や抗争ってありましたっけ? 飛鳥時代後半からじゃないの? 福島県に甲冑や馬具が少ないこと(しかし前方後円墳はある)、古墳前期末には仙台平野に大型前方後円墳、中期には岩手に前方後円墳が。「蝦夷」の「創出」は飛鳥時代。「隼人」創出も同じ時期

古墳時代史解題@kofunjidaishi

みんなのコメント

メニューを開く

ヤマトタケルも東国に派遣されてるし、倭王武(雄略天皇)も毛人を征伐したと宋への上表文に書いてるし、古墳時代から東北経営は一筋縄ではいかなかったと思います。

てったん@函館で縄文と古代史再勉強中・時々メタラー@Tettan_hakodate

メニューを開く

上総で平定された集団(奴隷?)が現在の岩手、宮城方面へ移動した記録があるようです。市原歴史博物館で知りました。

労働讃歌@logos_ajifry

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ