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デカルトと言えば「我思うゆえに我あり、でしょ!」とか、「心身二元論だよね!心と体を別々に分ける考え方がいろんな問題を引き起こした!」とか、主にその2点がやり玉にあがることが多いのだけれど、私はそこ、あまり重要ではないと考えている。デカルトが厄介なのは「全否定」だと思う。

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shinshinohara@ShinShinohara

みんなのコメント

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デカルトの生きた時代はキリスト教が二つに分裂していた旧教(カソリック)と新教(プロテスタント)。互いに自分こそが正しい、相手が間違っていると批判し合って、ついには聖バーソロミューの虐殺と呼ばれる大虐殺事件まで起きている。まさに血で血を洗う争い。

shinshinohara@ShinShinohara

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何にせよ「逃げ道は必要」ですが、今の世の中「逃げてばかり」。自分に都合悪い事は聞かなかった事、知らなかった事で済ます(要は否定)。分かり易い例が自民党国会議員。特に世襲がコレ。デカルトは「逃げ道」を教えたが、それを都合良く「言い訳」に使われたと。

ポットンピッポンさん@quickdokidoki

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素晴らしい考察です! デカルト表面しか知りませんでした。しかもラベル程度。解説ありがとうございます。 全否定せずに何を残すべきか、信じるべきものは何なのかという問いを大切にしたいと思います。

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う〜ん…私は篠原さんのファンではありますが、今回の議論は流石に雑すぎるような…デカルトを徹底的に批判した同時代人にスピノザがいる訳で、その系統がニーチェですよね…(その他、カント、ヘーゲル、マルクス、フロイト等も同様)…今回は、単純化しすぎではないでしょうか?…

KP@benedictus@benedictusKP1

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