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編纂した時代がかなり後なので微妙なんですが三国史記には173年に新羅へ卑弥呼が使いを出しています。 まんま受け取ると死去時90才超えになり厳しいのですが、ある程度事実なら卑弥呼は若い頃から既に外交する王で、大乱後、改めて狗奴国等を除いて統一した倭国王になっていると思われます。

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Saizwong/жунжи@junji_trans

みんなのコメント

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新羅や百済の紀年は高句麗と並べるために4世紀前半以前は延長されている可能性が高いです。なので「173年」は当てにならないでしょう。

Takeo Kusumi@T_Kusumi057

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三国史記では「卑弥乎」なのも重要ですね。基本的に姫=女王という一般名詞だと思いますが平原・纒向石塚の存在からも2世紀後半から倭国王がいた可能性自体はあります。

アヂ@csagev

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