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高松百香・樋口健太郎両氏の研究が示すように、 (a)上東門院故実が摂関家(御堂流)において重視され、 (b)上東門院から白河院への連続性が指摘できる とするならば、 “「正平一統」破綻後の広義門院の「政務」” は 佐藤進一氏が言うような「上皇代わり」ではなく 上東門院の「故実」への回帰なのでは?

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くまきち@kuma_kichi_1Q63

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「上東門院故実」を重視するのは 《上東門院の父“道長”・同母弟“頼通”の血筋の「御堂流」の「摂関家」》 であって、広義門院寧子の西園寺家は同じ藤原北家でも 《道長の父“兼家”の弟“公季”を祖とする「閑院流」の「清華家」》 なので事情が違うのかもしれませんね。 史料で実証したわけじゃないけど。

くまきち@kuma_kichi_1Q63

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