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沙汰する自己も無いのです。何もかもきちっと始末が付いてさっぱりしているのです。これを「無受想行識」と言うのです。身心一如に目覚めない限り、受想行識は妄想・妄念・妄覚なのです。次ぎも同じです。 「無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法」 「眼耳鼻舌身意」と「色声香味触法」は我々の心身とその

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潙山門@HekiganMumon

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働きのことです。「無」は条件も手続きも必要なく、これらを無制限に遣い尽くして跡形が無い事です。これら全ての機関は好き嫌い取捨無く、瞬間々々「只」機能してそこで立ち所に終わっている優れものです。今有って、即無いということです。だから次々に、自由に、条件無しに眼耳鼻舌身意が作用できる

潙山門@HekiganMumon

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