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「ヤマト」は日本国としてか 奈良盆地中東部、城上・城下・十市の 郡域をさす。 日本書紀では「倭」と「日本」 古事記では全体を通じて「倭」 歌謡では夜麻登 律令制の国名の「ヤマト」は「倭国」から「大倭国」一時「大養徳国」となるが、約10年でまたもとの「大倭国」に復ししばらくして「大和国」 pic.twitter.com/Drr8J2zdpb

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宇宙塵介の史書評@acJRecBWRVjdjT3

桃崎有一郎氏が邪馬台を解明したというので、少し倭と和・日本と書かれた文献はどうかと探した。 [日本の古代 倭人の登場]昭和60年 岸俊男(倭人伝以後の倭と倭人)に詳しい。古事記 垂仁記の倭の市師池、日本書紀 履中紀の磐余市磯池は同じで桜井市池之内に比定される。奈良盆地のヤマトをさす。

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ヤマトの呼び名の語源は神武東征の母体である九州が起源で新たな近畿の入植地に名付けたと思料す。「倭」は後漢書東夷伝で名付けられたもので主に小さい意味合いを嫌い飛鳥浄御原令で国号「日本」を自称。その辺の経緯は旧唐書倭国伝~新唐書日本伝に混乱した記述あるが概ね的確で国名変更を認めた。

舐小路実麿(ねぶりこうじさねまろ)@sanemarodreamj1

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