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『悪は存在しない』atあつぎのえいがかんkiki 長編ではなく中編の感覚で観る。終わり方が長編のそれではないと思う、それでよかった。パンフに監督のカメラ位置感に関する話が出ていたが観ると納得する。そういう流派なのだ。渋谷采郁がよかった。こんな幅を感じさせる俳優になるとは思っていなかった
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(『悪は存在しない』つづき)「カメラ位置感」ではなく「カメラ位置観」が正しいか。どっちだろ。観てるあいだは、ああ高橋が左ききなのはうどん屋のあのシーンがあるからかな、と思ってたけど終わって(鼎談の中の)カメラ位置観の話を読むと、そうじゃないのかな?