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男山八幡宮の戦いから撤退される後村上天皇が、山本判官の献上した黄絲威の大鎧で周囲の精鋭が法性寺左衛門督(藤原康長)以外は討たれるか逸れた際に三百騎の騎射で鎧の袖と草摺に矢が命中したものの、貫通はしなかったそうです。 四尺八寸の大太刀を奮って護衛していた藤原康長の働きあってですが。

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武図書@take10syo

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南北朝期に普及した強力な三枚打弓に対しても大鎧は適切に「甲(よろい)突き」などして備えるとまだまだ十分な防御力を発揮したようですね。『太平記』で射殺される武者はほとんど例外なく甲冑の隙間を射られている。反って兜の真っ向などの鉄板が矢に貫通されているようです。

中西豪@史道不覚悟@take_nakanishi

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