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学校教育で文学的な文章を書かせるのは美的判断を伴うためにハードルが高く、文体を統一する(入試では常体・敬体が混じると減点される)ことが正解であるとしか教えられないことがほとんど。学校では個人の表現をこわばらせる方向に向かわせる指導が本当に多く、ここにも学校後遺症がある。

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鳥羽和久 KAZUHISA TOBA@tobatoppers

みんなのコメント

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文学の話ではないんですが、私は学校で文章を書かせる課題が嫌すぎて本気で取り組まず事実上拒絶してきましたが、医師になって10年たち初めてまともに文章を書き、それが医学書になり、書き続けて10年になります。下手な学校の先生よりも編集者のほうが良き伴走者になり得るなと思ったという話でした。

國松淳和 KUNIMA7SU Junwa 🐯🐯🐯🐯🐯🐯@FakePearl_inst

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ここでのポイントは、「こわばらせる方向」のほうが少なくとも短期的には安心で楽であること。こうして大人は自分の中の「こわばり」の中に積極的に安住していくわけだが、そのこわばりがくすぶり続ける人もいるし、中年以降にそのこわばりから解放されることで本当の楽さを見出す人も中にはいる。

鳥羽和久 KAZUHISA TOBA@tobatoppers

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