ポスト

実際は第一次長州征討のころの記録に登場する「軍中法度」を、なぜ平尾道雄『新撰組史』や子母澤寛『新選組始末記』(いずれも1928年)は甲子戦争(いわゆる禁門の変)での九条河原(後者は四塚)で発したと記したのか。

メニューを開く

中村武生@busyo33

みんなのコメント

メニューを開く

しかも「劓罪」とあるらしいのに(小島資料館蔵「異聞録」<菊地明編著『土方歳三日記』上、ちくま学芸文庫、366頁>)、『新撰組史』『新選組始末記』いずれも「微罪」と翻刻している。両書の典拠はなんだろ。

中村武生@busyo33

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ