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結局三国志と後漢書からは特定できず、華陽国志に従って213年10月頃の時点では雒を包囲しており、諸葛亮らの進軍は始まっていないという解釈をしました。このあたりは他の解釈も可能ですのでご意見いただきたいところです。

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おさっち@三国志群雄太守県令勢力図&推し本三国志シリーズ@osacchi_basstrb

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なお、演義の記述の影響で龐統が死んだから諸葛亮らが呼び出されたのかと思っていたのですが、そのような記載は一切ありませんでした。龐統の死と諸葛亮・張飛・趙雲らが蜀に攻め込んだことは時系列の前後も因果関係も史料からは不明です。

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流れ的にはこんな感じでしょうか。綿竹を攻略して雒城へと進軍する前に諸葛亮は江州にまで到達していた。となると、諸葛亮は劉備が涪城で宴会しているころには進軍開始していたはず。劉備が諸葛亮に荊州へ来るよう命令を出したのは葭萌に居た頃だと思います。 だいたい流れはこんな感じでしょう。… pic.twitter.com/hVS8RIxZRM

松浦 桀@HAMLABI3594

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