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雒城で1年籠城を続けた劉循は優秀と以前思っていたけど、徳で益州を手に入れると劉備が考えたならば、雒城を力で落とす必要がなくなる。劉循の戦に関する適性は評価できない。ただ、調略よりもっと高い次元の徳による攻略で1年瓦解しなかったのは、劉循が人の心を掴んでいたからかもしれない。

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あと雒城一帯を無視し成都を包囲する手も劉備軍だけでは無理、それでは軍隊の背後を雒城守備隊に晒され、挟撃されてしまう、あと兵站も攻撃される危険性大。だからこういう掎角を破るには大軍で両方を攻撃するしかない。雒城の場合は張飛、諸葛亮で成都、劉備が雒城、だから攻め落とせた。

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雒城の後ろに成都があり、両者の距離は100里ぐらい,成都の援軍や物資は歩兵なら4〜5日、騎兵なら2、3日で到着出来る、これを力技で攻め落とすのは基本無理、だが諸葛亮や張飛等は益州を攻略しながら、成都に迫っている状況、それだと成都は防衛体制に入り、雒城を支援出来なくなる、だから城が落ちた

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敵地の奥深くで、3万の軍が包囲戦を1年続けられる状況は普通ない。劉璋から支給された分だけでは不可能で、降伏させた涪などから供出させたのだろうけど、そういう無茶に見える包囲戦が問題なく進められてしまうくらい、益州は劉備に心を攻められてしまった印象がある。 x.com/Rieg__Goh/stat…

陸合@Rieg__Goh

雒城で1年籠城を続けた劉循は優秀と以前思っていたけど、徳で益州を手に入れると劉備が考えたならば、雒城を力で落とす必要がなくなる。劉循の戦に関する適性は評価できない。ただ、調略よりもっと高い次元の徳による攻略で1年瓦解しなかったのは、劉循が人の心を掴んでいたからかもしれない。

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