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『戦国合戦の舞台裏』(盛本昌大)に、天正9年(1581年)の信長の兵糧輸送が紹介(p119)されていたので、地図で思考実験。『家忠日記』や『信長公記』では黄金5000枚で兵糧8000俵余を牧野原(諏訪原)城に運び込んだとあります。どこで集めたかは不明なので、搬入役の西尾吉次の故地の東条城から。 pic.twitter.com/54nrQ4AHev

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銅大@bakagane

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兵糧8000俵は、馬だとのべ4000頭が必要なので、輸送コストが高すぎます。なので、相良湊までは船で運び込んだものと思われます。これなら、湊から諏訪原城まで馬で1日で運べます。あるいは大井川の輸送では川船も使ったか。

銅大@bakagane

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