ポスト

大沢村は、承応年間(1652~54)以前より越ヶ谷町の伝馬の助郷を勤めていました(注1)が 慶安3年(1650)に、大沢村の5千坪の地子が免除されたことにより越ヶ谷宿に加宿され(注2) 承応2年(1653)(注3)又は承応3年(1654)(注4)には 大沢村は大沢町となり 越ヶ谷町と大沢町の宿駅機能が合体したようです 続く

メニューを開く
治田 洗礫@Harita_arayshi

明治前期の #越ヶ谷 と #大澤 ですが、この #双子都市、対等・先輩後輩・兄弟・親子・ライバル・主従…どういう関係性だったんでしょうね…? 越ヶ谷は「駅」、大澤は「町」にて前者が正式な #宿場町 だったということでしょうか。古くは元荒川が利根川本流(古隅田川)で武蔵・下総の #国境、ですね。

秦野 秀明@「埼玉凸凹地図」監修@Wpl0JWzdw688IBR

みんなのコメント

メニューを開く

出典: (注1) 福井 猷貞『大沢猫の爪』『越谷市史4』p.81 (注2) 『大沢猫の爪』『同』p.80 江澤 昭融『大沢町古馬筥』『同』p.172 『往還諸御用留』福井家文書『同』p.217 (注3) 『大沢猫の爪』『同』p.81 (注4) 『大沢町古馬筥』『同』p.168,171,172 『往還諸御用留』同『同』p.216,217 続く pic.twitter.com/dIDiES5LFd

秦野 秀明@「埼玉凸凹地図」監修@Wpl0JWzdw688IBR

Yahoo!リアルタイム検索アプリ