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田中派だった小沢一郎には多面性があった。竹下登とは対立。権力闘争。新自由主義に走ったのは調整役の意味もあったのだろう。日本改造計画はその現れだ。日本型民主主義。大きな政府を守るべきだった。国連主義は失敗。自衛隊を国連軍にするとまで語っていた。
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好意的に見れば何とか🇯🇵を独立の方向にもっていこうと四苦八苦されていたのだろうと。今の時点からアレコレ言うのはフェアではない。僕自身も新自由主義を習って育ちました。しかし田中派どころか自民がズタズタな状況で、もはや小沢氏しかかつての裏事情を知る人はいません。中曽根氏も黙って逝かれた