ポスト

こっそり万葉集 大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首 百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ 百に伝い行く五十、ああその磐余の池に鳴く鴨、この鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去っていくのか。

メニューを開く

新田義義@xGG19DULc7RLUfC

みんなのコメント

メニューを開く

当時の枕詞として、百に足りない五十の意「百足らず」というのが決まっていた。 大津皇子が異母兄草壁皇子と皇位継承を争って破れ、持統朝の朱鳥元年(686年)自邸で殺された。 父天武天皇が、二十一歳の大津にはじめて朝政を聴くことを命じ、皇后(後の持統天皇)・草壁皇太子の、大陸方式(続く)

新田義義@xGG19DULc7RLUfC

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ