ポスト

若い人は知らないだろうけれど、日本は先の戦争で負けが決まって中国から撤退することになったら、軍だけ真っ先に帰国し、取り残された民間人の帰国にはその後数年かかり、その後も中国に残された孤児が中国の家庭で実子のように育ててもらっていて、何十年後かに日本へ帰ってきた人が沢山いたのです。

メニューを開く
ℕ𝕠𝕣𝕚 𝕌𝕓𝕦𝕜𝕒𝕥𝕒@ubieman

敵であった日本人が置き去りにした子供達を、我が子として育ててくれた中国の人々に感謝を忘れてはならない。 日本人なら。

ono hiroshi@hiroshimilano

みんなのコメント

メニューを開く

残留孤児と呼ばれていたので、ちょっと調べると中国という国への印象も少し変わると思う。

ono hiroshi@hiroshimilano

メニューを開く

なお、当初は帰国どころか、「そのまま現地で暮らして」という方針だったようです。いくらなんでも酷すぎる‥ (舞鶴の引揚記念館からのホームページより pic.twitter.com/dC39vR9i5D

メニューを開く

井上ひさしの「1週間」には、日本政府が「抑留者を直ぐには送還しないで欲しい」とソ連政府に要請していたことが出て来る。 映画のために美化された話とは言え、1人の兵士を命懸けで見つけに行く「プライベート・ライアン」とは別世界。

得意冷然失意泰然@martinD45D35

メニューを開く

そう言う例も多々あった。 しかし恨みを晴らすため殺された例もあった。 善い人も悪い人もいる。当然の事だ。 全て戦争が悪い。

メニューを開く

父は「一歩間違えたら残留孤児だった」と言ってました。 その懐と情の深さに親近感を持って、後年日本に居た中国人の方々と親しく付き合いました。 中国本土は文化革命でずいぶん政治が変わった様ですが、台湾の人々は父が子供の頃に接した本来の中国人気質を強く持っているとの事でした。

ふくふう@FukuFuu15

メニューを開く

満州へのソ連侵攻のときまっさきに特別列車で逃げたのは関東軍と満洲国上層部です。居留民と無力化された関東軍兵士はあるいは逃げ惑い、あるいは戦う(敗走)ことになった。

メニューを開く

毎年そのニュースがありましたね😞 亡くなった義母も大連の生まれ、一つ間違えたら残留孤児になっていたかもしれないと…🥺 関東軍は我先に撤退(逃げ)。

インパルスラブ🛩️🚁🛵@satcublife

メニューを開く

昭和のある時期、中国残留孤児の問題がクローズアップされました。心無い人が親を非難する一方「食べ物が無くて、皆飢えていた。あるのは疲労と危険。『子が無いから引き取って育てたい』と中国人から言われて、我が子の無事の為に手放した親もいる。自分の明日の命も不明だったのだから」の証言。

メニューを開く

山崎豊子著の「大地の子」オススメです。戦時中に中国に置き去りにされた男性が主人公の話。

maki MATSUSHITA@MatsushitaMaki

メニューを開く

日本が満州を支配した経緯では、元々中国農民の土地を騙すように格安で奪い日本人の開拓者に払い下げ満蒙開拓は進行したんです。しかもその中国人を使用人小作として使ったり。そんな日本人の取り残された開拓者の子供さえ虐殺せずに育ててくれた中国人は徳がある。さらにその後の国交回復でも広い心を

未来への責任@miraiomosaku

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ