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1887年頃 明治20年頃 錦魚煙火 銀魚煙火 祐金町に鈴木徳兵衛という者がいた。彼は他人にさきがけこれまでの錦魚煙火に塩素酸カリを使用して、非常に光輝のあるものをつくりあげた。これが銀魚煙火である。岡崎の水中煙火はこれに依り錦魚、銀魚の煙火として、ますます、

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花火歴史家@ブログ@hanabi_history

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その名を高めていったのである。ところが丁度その頃、岡本音三郎が貧に落ち入り、遂に或る日、本町にやとわれて、金魚煙火を作ったことから、次第にその秘密性がやぶれ、祐金町の独占もむなしく、岡崎中の町内に広まり、岡崎天王祭の錦魚、銀魚として近隣の地方を圧していったのである。

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