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言葉以前の言葉、レヴィナスの言うところの「顔」、そこで何が分け持たれるのか。そこで分け持たれるものは「言葉」を介した普遍的なものと何が異なるのか。共有不可能なものへの応答。根源的な共同体。この「重さ」はどう考えたらよいだろう。「精神」「実存」に「他なるもの」という別の領域を考える

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固有な孤独から深く沈潜し、普遍的な孤独の達すればそれは共有可能性に開かれる。文学や哲学はそういう営みだろう。しかし、言葉を持たぬ者(認知症の方や失語症の方)は、普遍にアクセスするのが困難になる。普遍でもない、根源的な共同性によって分け持たれるものがあるだろうか。僕はあると感じている

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