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劉封、益州平定に同行しているが、他の伝の記述には諸葛孔明や張飛のように名前が挙げられていない。 彼が副軍中郎将に任じられたのは益州平定後、上庸攻略後に副軍将軍となる。一族というのは時に年齢や経歴を飛び越えた地位につく。彼の副軍の肩書がそれを表している。↓ #学三国

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トベ・イツキ@『学園戦記三国志』連載中@tobeitsuki

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しかし、益州平定時にはまだ孔明や張飛より一段劣る扱いにあり、まだ副軍と言える地位にいなかったことがわかる。 劉備は実績重視の人物で、孔明も地位を与えたのは赤壁の戦いの後だが、養子であっても例外ではないようだ。

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