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凡庸な考えだが、南村のブルーを、クラインのブルーに対比させる。後者において接触のできない神聖なものとしての超越論的な青が、極めて世俗の消費の対象として横溢し、暮らしを侵食する。これは南村の遊戯する空間の本質である。

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平田トキヒロ@ゆる哲学ラジオ@yuru_philo

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民俗の用語を極めて雑に援用するとすれば、ハレの堕落。それを弄ぶ精神性を現代に見出し、それでいて過激に皮肉る。

平田トキヒロ@ゆる哲学ラジオ@yuru_philo

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