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その武漢辺りの遺跡から三星堆との繋がりがあったこと。更には蚕ゴウという名前の王がおりその名前にもあるようにシルク(養蚕)が出土しており高度な織物が作られていただろうこと等、長江文明と日本・日本神話との繋がりを強く感じている私は、三星堆こそが古代文明の中継地であり集積地だったと→
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いう想像、太陽神や目の繋がりもあり、つまり超古代に黄河文明長江文明巴蜀文明(三星堆)インダス(及びインド東部ガンジス)文明メソポタミア文明、エジプト文明まで繋がるシルクロードの様な道もあったのかもしれない。そしてその大きな中に日本の縄文弥生文化もあり(三星堆祭器に縄目模様を)→