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小津安二郎や成瀬巳喜男も大衆の娯楽の映画だったのが、後に芸術性などの権威付けされたと思います。国内では大島渚のATG映画がシネフィル的なもののハシリだと思いますが、娯楽やエンタメを見出すのは観衆側ですからねえ

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king-biscuit@kingbiscuitSIU

返信先:@mamiananeko映画は初手から「市場」前提の商品ですから、芸術性だの創作性だのを売り物にする映画というのは、輸入もの以外は、雑に言えば戦後にならないと出現してこなかったような。てか、輸入ものの「洋画」というのが、無声映画時代からそもそもそういう「純文学」的な位置にあったんだろう、と。

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その「芸術性」的なものもまた、世間一般その他おおぜいな観客にとっての「娯楽」の要素の一環に組み込まれていった過程があったように思っています。「芸術性」という付加価値もまた、フラットに「市場」に反映され得るようになっていったというか。

king-biscuit@kingbiscuitSIU

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