ポスト
それとも全ての行いは阿弥陀様によって導かれているからあらゆる言動も自分の発想で恣意的に律したり配慮したりする必要はないとでも仰るのでしょうかね。私は親鸞聖人の思想的苦悩に強く共感しつつも立場上信仰はできませんが、だからこそ自分の破戒を親鸞聖人と同じ理由で許容することはできません。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
もし自分が親鸞聖人と同じ苦悩を同じ修行を経て解決しようとしても、そのとき脳裏に浮かぶのは違うイメージかもしれませんし、全く同じルートを辿らせてもらえたとしても普通はよりハードルが上がるものです。そのようなゼロからの繰り返しを超越するウルトラCが伝法や嗣法なのではないでしょうか。