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[コメント]当時の水俣市長・中村止氏は、元海軍機関中将。 伊藤忠商事などを経て、1958年水俣市長選挙に立候補し、現職の橋本彦七を破って当選。

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米谷 仁志@cometkobe

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橋本彦七氏は、日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場に勤務していた時に、水銀触媒を用いたアセトアルデヒドと酢酸の合成法を開発した。 1950年に水俣市長に立候補し、主に労働組合の支援を得て当選。1954年に再選。 水俣病発生当初、原因として農薬説を唱えていた。

米谷 仁志@cometkobe

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