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藤原伊周は、故太政大臣藤原為光の娘(斉信の妹)三の君の元に通っていた。 一方、長徳2年(996年)1月に入ると妹の四の君の元には密かに花山法皇が通うようになった。伊周はこれを自分の相手である三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談した。 pic.twitter.com/kYtcfje59Q

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Vatanabeus@nabe1975

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隆家は長徳2年1月16日(996年2月7日)、従者の武士を連れて花山法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜いた。「百錬抄」によれば、隆家は花山法皇の従者の童子二人を殺して首を持ち去ったともいう。 花山法皇は弓で射られた恐怖に加えて出家の身での女通いが露見することを恐れ、口外しなかった。

Vatanabeus@nabe1975

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