ポスト
私に『姜一星』として強く生きる事のみ厳しく教え、あとの事は『放任主義』だったオモニ。いなくなって、今年で16年目か… ごめんな、今日は『母の日』だったな。 あなたの事は忘れた事はないんだけど『母の日』やってのは忘れてたわ。 ありがとう。 今日も『姜一星』として生きています。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
在日の人々の集会で主催者の人が「帰化」という言葉がどれほどひどい言葉であるか、知覧の特攻隊記念館で朝鮮の人が日本人の名前でも掲示され、そして日本の名前を使うことを私なりにひどいと思っていましたが、まだわかっていなかった、改めてこの話で目を開かされました。ありがとうございます。
メニューを開く
今分かったような気がする。 姜さんが子供の頃から名前でからかわれた悔しさ、教師に嫌味を言われた悔しさをずっと抱えてきたのは 今は亡きお母様から教えられた名前への誇りを失いたくない、失ってはいけないと常に言い聞かせて生きて来たからでしょ。 立派な御名前をどうぞ確りお守り下さい。
メニューを開く
母は韓国(京城)で産まれ育ち終戦で引き揚げて来ました。 韓国では差別する側、帰国後は「ちょん」と呼ばれて差別される側になりました。 母の名は「道子」。韓国と日本に道をつなぐという意味で韓国産まれの祖父がつけました。妹は「仁子」。仁川で産まれたからです。 日韓どちらも私の故郷です。
メニューを開く
私などでは感動した、などと言葉では全然たりませんが、母の日に聞いた中で一番心に響く話でした。これからも思い出し、私が人として成長できるよう、姜さんの願いが実現するように少しでも力になれるよう、心に残します。