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「当時小中野周辺には、貸座敷39件、160人の芸妓がいて、東北一とうたわれていた。城下から湊まで当時20銭の乗合自動車で通う旦那衆で大いに賑わっていた。  鮫と湊の間の狐 わしも二・三度だまされた 行けや鮫浦、戻れば湊 ここは思案の湊橋 と唄われた「白銀ころばし」が流行った良き時代であった」 pic.twitter.com/JOEyE4rPd8

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メタルコサック@GSz5f0MP3Gp8BOd

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「白銀ころばし(南部甚句)」 「八戸市周辺の唄。魚売りの女達が、鮫(さめ)の遊郭へ魚を売りに行く道すがら唄い歩いた。三味線の手が付いて座敷の騒ぎ唄になり、独特の趣をもつようになった。「ころばし」は、玉をころがすような美声の意。「白金ころし」ともいう。美声で人を悩殺するという意味」

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「「新むつ旅館(旧新陸奥楼)」は小中野新地に、往時の隆盛がうかがえるたたずまいをみせている(略)明治31年に貸座敷の許可をうけて開業した新陸奥楼は、時代の流れで昭和32年の売春防止法施行のため、旅館に転業し現在に至っている」 pic.twitter.com/mGWQmmEBJ9

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