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妻との逸話から、龐林は襄陽からの劉備の南下の列に加わっていたことが分かる。問題は龐統である。彼は、周瑜が南郡を得るより先に南郡の功曹となっている。考えられるのは、劉表時代から南郡功曹になっていたか、或いは曹操に捕まり功曹に任じられたか、であろう。 twitter.com/Jominian/statu…

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龐統は父や弟も劉備に従い、最終的に益州に入っている。彼の地元は襄陽であり、劉備と共に家を捨てて南下していなければ、襄陽が曹操に押さえられている以上、父や弟が劉備に従う機会は限りなく小さくなる。劉備と共に江陵を目指した列に家族が加わっていたのが龐統ということ twitter.com/Jominian/statu…

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劉表時代末期に江陵に配置されるという事は、劉備が荊州刺史となった後の体制に入っていることを想定しているだろうから、劉備派に近いだろう。そして、そのタイミングなら、曹操が江陵を押さえる前に脱出できるはず。弟が劉備に従っていたなら尚更。消去法で曹操の起用か。 twitter.com/Jominian/statu…

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妻との逸話から、龐林は襄陽からの劉備の南下の列に加わっていたことが分かる。問題は龐統である。彼は、周瑜が南郡を得るより先に南郡の功曹となっている。考えられるのは、劉表時代から南郡功曹になっていたか、或いは曹操に捕まり功曹に任じられたか、であろう。 twitter.com/Jominian/statu…

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