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あと、遺作となった「海辺の映画館 キネマの玉手箱」では撮影開始が当初の予定より半年延期されたことにより、スタッフがいつもの馴染みのメンバーではなくなって、意思疎通と体調面とで大変だったというのも驚き。 最後の作品の撮影現場がそんな感じだったなんて、ほんとに命削って作ってたんだなと。
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当時東宝にいた小栗康平は「HOUSE」の撮影の時に自ら志願して助監督をして、後に「泥の河」を作った時には大林夫妻2人だけを呼んで一番最初に見せたという話はほっこりした。 大林監督と小栗監督ってそんな関係性があったんだ。