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平安時代は、というより明治に至るまでずっと「夫婦別姓」だったことは知られるようになってきましたが、藤原道長と妻の源倫子は墓も別で、「夫婦別墓」だったのですね。それぞれが出身の一門の墓に葬られ、そうすると子孫が繁栄すると考えられていた由。

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小島道裕@平和・人権史観🍉@kojimam1956

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「光る君へ」の時代考証をされている倉本一宏氏が、「当時は兄弟継承が基本だった」ことを解説。道隆→道兼→道長 という兄弟間での権力継承の背景がよく分かります。 嫡男が地位や家業を受け継ぐ形の「家」(「武家」なども)ができるのはもう少し先のことですね。 gendai.media/articles/-/129…

小島道裕@平和・人権史観🍉@kojimam1956

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