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<後漢帝陵と同規模の墳墓が東夷倭に> →これも東アジアや世界的に見ても「特殊事情」でしょうね。 まずこれを認識したら、その巨大墳墓に埋葬は「親魏倭王」の大女王が相応しいのは当然。 しかし「後継の13歳で擁立の台与が葬られ、(初代?)親魏倭王卑弥呼は全長約1/3の勝山との主張がある不思議😆

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starview123@starview1231

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個人的に箸墓との先後で中山大塚が大きな問題と考えており纒向勝山→東田大塚→箸墓は平面形は型式学的変遷辿れ時期もそれぞれ近接しますが仰る通り箸墓と前者2つは大きな隔絶あり今の所は別系統(副系列)と考えます。一方で東田大塚近接し同時期の弧帯石廃棄品 (吉備系?)twitter.com/csagev/status/…

アヂ@csagev

返信先:@starview123111東田地区で庄内3~布留0(建物群廃絶時期)の弧帯石の廃棄品が出てます

アヂ@csagev

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石野博信氏が2002年の『邪馬台国と古墳』の中で箸墓と卑弥呼の墓の関係について「悩み」を縷々述べておられます(p64-66)。 ― 箸中山古墳が卑弥呼の墓であれば悩みは解消します。しかし、箸中山古墳の年代は、今のところ、やはり三世紀後半です。 ―

hyena_no_papa@hyena_no

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