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北畠顕家の進軍速度が話題になってたが、数万の軍勢で東北をスタートして京都まで攻め上ったと考えるから不思議の快進撃に見えるが、数百程度で出発して途中で与党する武士団を糾合した結果大軍になっただけで、顕家本営が全てを経営していた訳では無かったのでは。厳しくいうと烏合の衆。

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ドンじょぶお@urakkun26

みんなのコメント

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南北朝時代に話半分としても空前の大軍が日本を東西するが、兵糧自弁と現地調達に依存する小軍勢の寄せ集めであって、近代的な軍隊では無かったはず。それをマネジメントするのに家格や官職といった権威が不可欠であって、それの卸元となる天皇の存在感は単なる飾りでは無いわな。

ドンじょぶお@urakkun26

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ここにも歴史と文学との混同があるが吉川英治「私本太平記」が「わけもわからず徴兵された数万のみちのくの若者たち」とするのは終わったばかりの太平洋戦争を描きたかったから。 文学にも失礼な話です。

ビタロー@nacandacalli

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鎌倉落としてから、軍勢増えたみたいで、あと東海道筋だと現地調達は、大軍でもなんとかなるんですよね。

樋口左衛門尉隆晴@saemonhiguchi

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ならなおさら勝って気炎上げて 鎌倉総攻撃→三河侵攻 あとは新田と合流して再編して 組織化できれば…

りゅんぽん@RYUNPON00

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新田義貞公もそんな話でしたね

レシプロ@ミリ部隊長(南北朝推し・フォローできる人カンスト)@migmigsutu

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勝ち戦の尻馬に乗る奴は、今も昔も多かったと言うことですね。

ノルターバーン義勇兵@shi3og

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アレジ夫人の顕家思い出した。

なまニャンコ@jGgNxLoPCuNW748

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