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後醍醐天皇は鎌倉幕府に対して兵をあげて失敗して隠岐に流された際に、竈から上る煙を見て、仁徳天皇に因んだ歌を歌ってるのと、仁徳天皇みたいになってくれという顕家の諫言とを重ねてこのエピソードを作ってるの美しい。でも、後醍醐天皇って仁徳天皇より桓武天皇に近いよね。 #逃げ上手の若君

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仁徳天皇は菟道稚郎子、その父は応神天皇は忍熊王と共に宇治や山城に地盤をもつ勢力と戦っており、一方で応神・仁徳は大和南部から河内紀伊と南朝と被る勢力圏なので、二つの王権が南北で対立したオマージュとして触れてる可能性もありますね。 #逃げ上手の若君

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