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53/ だが大森は学内の他のマルクス主義教授たちに累が及ぶことを懸念して、小野塚総長、河津暹学部長らに辞表を提出してしまう。  昭和4(1929)年6月に、大原社会問題研究所の森戸辰男が京都帝大で講演し、雑誌『改造』同年8月号に「大学の顛落」と題して論文を発表した。

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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️@chokusenhikaeme

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54/ 栄治郎は『帝国大学新聞』で、これを批判。大森は東京帝大を辞職すると雑誌『改造』に森戸論文とは別な「大学の没落」を書く。 📌そもそも人格主義に立った人間観を下部構造とする栄治郎の自由主義はマルクス主義とは相容れない。森戸vs河合論争は昭和5年3月17日号まで続いた。

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