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かつて大阪が9学区に分かれていた時代は普通に東大京大を目指せる府立高校が10校もあった。家が貧しくてもそのどれかに入学しさえすれば、高いレベルの教育を受けるチャンスを手に入れることができた。
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学区制廃止によって北高南底は悪化した上地域学力が崩壊していきました。 4学区制時の中堅校の学力レベルが落ちて当時では考えられない定員割れ校も増加。 また偏差値の低い学校は軒並み廃校になり地域コミュニティの破壊にも繋がっており、定時制や職業科が無くなる等進路の幅が狭められました。
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ほんとうに今の上位校の倍率は異常です。1校で100名以上不合格だなんて昔はありえませんでした。あまりに倍率が高いので中学校の間は月数万円の塾通いがほとんどになるなか、月一万円の塾代補助とか、方向性おかしすぎます。
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今思うても大阪府を9つの学区に分けてそれぞれの学区には生徒の学力に応じた公立高校があり、商業科、工業科他の専門科は学区に関わらず受験できたなんてようできたシステムやと思います。それを 維新は踏みにじりました。
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京都生まれの71歳。 当時蜷川府政下で小学区制(地域によって高校まで決まる)。 「だから京都から京大合格者が出ない」と批判を受けた。 今は、京大合格者が洛南(私立)に集中しただけで、京都全体では大した変化はない。 むしろ府外の西大和や東大寺に生徒が出て行っただけ。 そんなことです。
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一般受験を希望する生徒は予備校、映像授業などを受けている生徒が殆どだと思いますが、指定校や総合だと予備校、塾通わない生徒も少なくないです。 どの時代との比較なのかわかりませんが、大阪の状況は決して大阪だけでなく他首都圏も同様、東大など公立からの進学者数を見れば確実に増えてます。