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>ソシュールの考えた記号の恣意性とは、シニフィアン(言語的な形)とシニフィエ(言語的な意味)と言う其々が独立して成立する二層の価値体系の其々の特定の座標(価値)が一致すると特定の話者が認識した時に、特定の記号が成立する事を意味していた可能性があるが、今となっては確かめようがない。

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Naomiki Sato/佐藤直幹@NaomikiSato

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>ソシュールが提唱した記号の恣意性は、彼の没後、後発の言語学者によって曲解され、本質を歪められたまま現在に至ると言うのが私の解釈で、この歪みの元凶が、音韻論に於ける「音素は言語の最小単位である」と言う「古典物理学に於ける単位の視点を大きく反映した定義」であると私は考えている。

Naomiki Sato/佐藤直幹@NaomikiSato

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