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それから、寺澤編年でも、実は内部矛盾がありまして。 寺澤は纏向型前方後円墳を庄内式としてますが、これ、纏向石塚を除き、最近では布留0式古層ぐらいになっているので、勝山、矢塚、東田大塚山あたりは、寺澤編年では260-270年ごろになり、卑彌呼生前の築造は纏向石塚だけですね。

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鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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で、日本全国でも、寺澤編年で、卑彌呼生前、247年までに築造された古墳、墳丘墓は、じつは、上総の神門古墳群あたりの3基、山城の芝ヶ原古墳(前方後方墳)と、纏向石塚と楯築墳丘墓ぐらいしかないんでは?なんです。 纏向を卑彌呼の宮とするのは寺澤編年では、考古学的根拠がないです。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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