ポスト

「諦」という漢字には「諦める」の意味のほかに、仏教でタイと読んで「真理(明らかにされたもの)」の意味があるそうであるが、よく考えると日本語の「あきらめる」も、語源はあきらかに「明らめる」ですよね。これは関係ないはずがないと思うが、どういう変遷でこうなったのでしょうか?

メニューを開く

谷口一平 A.k.a.hani-an@Taroupho

みんなのコメント

メニューを開く

元々は「ものごとの道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念する」という意味だったのが、いつの間にか仕方なく断念するというニュアンスに変わっちゃったみたいです 諦める | 生活の中の仏教用語 | 読むページ | 大谷大学 otani.ac.jp/yomu_page/b_yo…

まーにゃ・うらら姫@lyricalium

メニューを開く

諦 の字にgive up の意を付与したのは日本です。本来の字義からは離れています。「若い」などと同じく、国訓と呼ばれるもの。

桜田真助@学习汉语@kingofgatayama

メニューを開く

凡てが明らかにされた上での自身の選択=なにかを選ぶ、とゆうことは、"それ以外を選ばない"、即ち現代的な意味で「諦める」、とゆうことだとおもってますぉ(´・ω・`)

へなまん🫶屁理屈でごめん🫶@Henaman

メニューを開く

いい加減な指示をする時に 「適当に対処しろ」という人が沢山いて、 適当に「いい加減」の意味が付く。 何かを辞める時に 「隅々まで考え尽くして  全てを明らかにしまして〜」 みたいに言う人が沢山いて、 明らめるに「辞める」の意味が付く?

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ