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平安末期の源頼朝の挙兵や鎌倉時代の承久の乱のときの北条泰時も、挙兵した時は十数人でスタートし、途中でドンドン数が膨れ上がって、最終的には10万規模の軍勢になった。ノリと勢いで味方が増えていくのでトップも自陣を把握するのが難しい。そしてやっぱり烏合の衆。

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ドンじょぶお@urakkun26

北畠顕家の進軍速度が話題になってたが、数万の軍勢で東北をスタートして京都まで攻め上ったと考えるから不思議の快進撃に見えるが、数百程度で出発して途中で与党する武士団を糾合した結果大軍になっただけで、顕家本営が全てを経営していた訳では無かったのでは。厳しくいうと烏合の衆。

イブン=シーナ@ibun_shiina

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